吉野家の常務解任騒動について

 吉野家の常務解任騒動の件、人権、ジェンダーの観点から常軌を逸した発言だったが、この記事にあるように私がこの件で特に気になったのが、この経営者の1人でもある常務に、吉野家というブランドや自分たちの牛丼という製品に「愛」や「誇り」が一切感じられなかったことだ。
 発言の内容は何度も報道されているし、ここに書くのもおぞましいので書かないが、そこに愛や誇りがあれば、どのような場面であろうとあのような比喩、発言はあり得ないと思う。

 私は吉牛愛とまではいかないかもしれないが、学生の頃から吉野家にはかなりお世話になっており、今でもたまに無性に食べたくなって、「はやい、やすい、うまい」の体験を束の間の幸せとして味合わせてもらっている。常務いわく「高い料理を食べたあとで〜」とかとは全くセグメントが違い、関係ない。

 経営者が自分のブランドを愛し、製品に誇りを持てないで、どうやって社員にその製品を売れというのか。どうやってお客さまの期待に応えろというのだろうか。今回の事件は吉牛ファンの1人というか、経営者の端くれとしてどうしても許すことができなかったので自戒の念も込めてここに記す。

 この記事を書いた鈴木さんとは25年くらい前に同じマンションに住んでいて、子供が同い年だったことから仲良くしていただいたご縁、笑。鈴木さんの著作はいつも問題の本質を突いていて、その洞察力の鋭さに感服し、参考にさせてもらっている。

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